2011年3月11日という日
今日は東日本大震災発生から15年目だそうです。東日本大震災が起こったのは、2011年3月11日午後2時46分のことでした。明るい日差しの中、静かに部屋で仕事をしていると、あの日のことを思い出します。花も咲き始める時期でした。
私は春休みに入りひとけのない大学の自分の研究室で、ベトナムへの海外出張に出かける準備をしていました。7階にある私の研究室はかなりゆらゆらと揺れて、立っていられないほど、そして書棚の本が次々落ちてきました。研究室から廊下に出て、揺れがおさまるのを待ちました。向かい側の研究室の先生も驚いて、外に出てこられました。
これは只事ではないと思いました。研究室に戻りネットニュースをみると、仙台で大地震の文字が見えます。血の気が引きました。私の実家は仙台で、病気療養中の父と母が2人で住んでいます。数分のうちに、母から無事だというメールが届きました。庭の木につかまりながら、私が心配すると思い、送ってくれたと後で言っていました。
母はこの春で95歳になるので、ちょうどあの頃は80歳だったんだなと思いました。まだ車の運転もして、父を病院に連れて行ったり、携帯のメールを使いこなして、あちこちに連絡したり機敏に動いていました。最近はすっかり老いて、もしかすると、震災のことも覚えていないかもしれません。
そして津波
しかし、それだけでは終わりませんでした。私はともかく両親が無事だったとわかり、少し安心して仕事に戻りました。 そしてしばらくしてから、帰宅しようとして、帰りに事務室に寄りました。薄暗くなった事務室で、残っていた事務の人が珍しくテレビを見ていました。見慣れない光景だったので、何か映画でも見ているのかなとも思いました。黒い水に家々が呑み込まれている映像でした。私の実家は仙台で、などと事務の人と言葉を交わした記憶があります。私の実家は海の近くではなかったのですが、急いで家に帰り、ニュースを見て、実家に電話をしましたが、もうつながりませんでしたし、メールもできませんでした。母と話ができたのは、それからかなり先のことでした。
実際に仙台に私が行けたのは、もっと後のことでした。当時は、とにかく何か買えたものを入れるため、リュックを背負っている人が多かったです。数ヶ月後には、今度は、喪服を着ている人を多く見かけるようになりました。私の父も、そんな6月に他界しました。
再び能登半島地震
能登半島地震が起きたのは、2021年1月1日のことです。3.11に1.1、偶然にも1という数字が連なります。
mahiruf.hatenablog.com
災害はいつどこで起こるかわかりません。日々を大切に生きていくことが大事なんだろうと思いながら、これを記します。
