久しぶりにPC新調
何年ぶりかでPCを新しく買いました。持ち歩きに使っていたMacが、さすがに古く、先日の研修会でスライドをプロジェクターで映そうとしたのに、できませんでした。幸い研修会には他のメンバーもいたので、PCを借りてしのぎました。もともと、騙し騙し使っていたのですが、講演先でスライドがスライドが映し出せないというのは、かなり致命的だと考え、新調することにしました。この先、PCを持って仕事に行くことがいつまで続けられるのかはわかりませんが、PCは仕事に限らず必需品なので、ここで買っておいてもいいだろうと決心しました。

買ったのは、Mac Book Neoです。私はずっとMac派です。在職中は、情報処理の授業などをしなければならないこともあり、Windowsマシンも持っていましたが、自分で使うのはMacが好きで、使い続けています。今回のNeoは持ち歩き用なので、それほど高性能であることは求めませんし、何より値段も10万ちょっとという安さに惹かれました。迷わず、可愛いピンクをポチってしまいました。データやソフトウェアの移行に多少手間取りましたが、あとはサクッと動いて、快適です。早速今週末の仕事に持って行けそうです!
移動と人生
少し前に、この本を書店で目にして、すぐに買いました。というのも、「移動」というのが、私にとってちょっと引っかかる点であると認識しているからです。伊藤将人『移動と階級』講談社現代新書。

実は私は運転ができません。大学入学を機に東京に移ったので、在学中は車に乗るという選択肢はそもそもなかったのですが、結婚して最初に住んだのが筑波研究学園都市でした。バスはあるものの、広大な敷地の中にポツポツと大学や研究所が立ち並ぶ場所で、車がないと日常生活にも苦労するところでした。そこで初めて運転免許を取ろうという気持ちになりましたが、夫が私の方向感覚のなさに呆れたりして乗り気じゃなかったことや、その後、またすぐに東京からロンドンに移ったりしたので、立ち消えになり、そのまま免許なしで生活しています。
今住んでいる場所も、地方都市で一家に家族の数だけ車がある家も珍しくないところなので、車に乗れた方が便利ですが、バスの便や街からの距離によっては、なくても何とか暮らしていけます。しかし、それが夜に仕事で出かける時や、遠くの仕事を受けるかどうかなど迷うこともあり、運転免許がないことはいつも私の小さいコンプレックスになりました。
移動を好む心
『移動と階級』では、移動をさまざまな視点から検討していきます。思うように移動できる人とできない人との間に格差はあり、そこには社会階層や性別が大きく関係しているとしています。
この本では、海外も含めた移動経験が顕著に高い「モビリティ・グローバル・エリート」と呼ばれる人々がいることも指摘しています。確かに、仕事や進学、そして娯楽についても、国内に限らず、海外にも軽々と移動して暮らすエリート層の人が結構いることに気づきます。
私が以前働いていた大学の学部は国際系でした。国際と名のつくだけあって、教員は留学経験がある人が多く、学生は帰国子女が結構いました。卒業旅行も、一か所海外に行くのではなく、ゼミ仲間とは割に近場の温泉で、親友とは海外のリゾート地、また別の友人とはヨーロッパに、などという学生も珍しくありませんでした。私も夏休みの今の時期は、日本語教育実習の付き添いなどで、大体海外に出張していました。写真は、中国の天津の夜景です。満月が見えました。

私自身は子ども時代は移動がそれほど多くなく、好きということもありませんでした。が、結婚した夫は、家族皆、移動が好きな人たちで、旅行にも頻繁に行っていました。その影響もあって、私も移動がそれほど億劫に思わなくなったかもしれません。夫は3人兄妹ですが、3人とも海外に住んだ経験を持っています。しかし、夫の家族がグローバル・エリートだったかというと、そうではなく普通の家庭でした。
となると、この本が主張するように、海外への移動経験と経済状況が関連する傾向はあるものの、それだけではなく、移動を好む心や習慣との関係も強いかなと感じます。私は移動も好きになったけれど、時々負担を感じることもあり、家を出ないでのんびり毎日同じような暮らしをするのも好きです。
移動と社会の不公正
私は夜の講座の仕事を長く続けてきましたが、ここ数年、講座が終わった後のバスが少なくなってきました。講座終了後の数分後のバスに乗る必要がある時には、受講生の方の協力をいただき、途中の休憩時間を短くして、講座が終わったら、バス停にダッシュしてました。が、今年からは、ついにそのバスがなくなり、1時間後の最終バスに乗らなければならなくなりました。夜、カフェももう閉まってしまった街で1時間待つのは虚しいですし、タクシーに乗ったら時給の3分の1がなくなってしまいます。講座のたびに、夜遅く夫に車で迎えに来てもらうようなことはしたくありません。もう辞めるしかないと覚悟を決めたところ、その講座がオンラインとなり、続けられることになりました。これは私だけの問題ではありません。移動手段がないのであれば、他の工夫も試みること、やはりそれも必要となるでしょう。
移動が必要なのに、そのための手段がないことを、自動車免許を持っていないせいだなどと個人の責任に帰せられてしまうのは、何か違うと思います。移動をめぐる自由や権利は、皆で検討し皆で負うべきものだとする伊藤氏の主張には、大きく納得できました。