散歩するように生きる

リタイア後の日々の暮らしと趣味と日本語教育のこと

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能登半島地震その後 孤立を防ぐために

能登半島地震から1週間が経ちました。「もう」と「まだ」の気持ちが混在しています。

地震から1週間の状況

 能登半島地震が起こったのは1月1日の元旦の夕方のことでした。何かいつも揺れているような感覚のままずっときており、「もう」1週間経ったのかとも感じます。コロナの移動制限も解かれ、何年ぶりかで実家に家族が集まっていた家も多く、それが大きい悲劇につながりました。東日本大震災でも津波が家族皆を襲いましたが、今回の地震は家が潰れたり土砂崩れを家族が襲いました。まだ安否のわからない方も多く、言葉を失います。

 能登の半島地域は「まだ」ライフラインも回復しておらず、雪も降り出した中、大変な状況が続いているようですが、半島の根本部分である「加賀」の地域はライフラインにも問題なく、余震はあるものの普通の暮らしができています。ここには、単に地形だけの問題ではない、大きい課題があるのかなと思わざるえません。

能登の思い出

 能登の思い出を探すと、たくさんの写真が出てきます。七尾の温泉にも、輪島にも、毎年よく出かけていたことに改めて気付かされます。

あの美しかった夕日が見られる日はまた来るのか。そして、NHKの朝ドラ「まれ」のモニュメント。周りがすっかり焼け落ちた中、無傷で残ったそうです。この横には、古い町屋を改装した素敵なカフェとお土産屋さんがあり、そこで色々買ったことを思い出します。

 

 輪島はフグが有名で、干物はもちろんですが、厚い身のフグ丼などでも楽しめました。赤い漆塗りのお皿に載っているのは、輪島の郷土料理「すいぜん」です。ツルッとした感触でごまだれでいただきます。

1週間経って支援体制は

 石川県は、ここ数年、珠洲で大きい地震はありましたが、大雪以外は比較的災害の少ない地域でした。もともと雨がちな場所ではありますが、意外に梅雨時や台風の時に急にひどい大雨が降るというほどではありません。地震津波も歴史的にはあまり経験してこなかった場所です。能登半島が地理的に人的サポートにしても情報にしても届きにくい場所であることは、私が行なっている日本語教育の活動でも常々感じていることでした。今回、それが顕著になりました。観光を重視する県だったため、災害への備えにはあまり重点が置かれなかったようです。他県からのトイレカーやお薬ステーションカーなどが入ってきているニュースを見て、地元で防災の備えがなかったのか、あってもそれらも潰れてしまったのだろうかなど、やや残念な気がしています。

今できることとは

 私の周囲でも、今何ができるか、とにかくできることはないか、皆模索しています。ただ、道路状況が悪い上に、雪も降り出したため、個人でボランティアに出かけて手伝うというような状況ではありません。まだ専門家に任せるしかない時期です。あとは募金をしたり、日用品や衣服などを集めて送っている団体があるので、そこに持参したりがせいぜいのようです。

 私自身は、今できることは、被災した子どもたちに、大学受験の最新情報を集めて提供したり、学習を止めないように、サポート活動をとにかく続けることかなと思っているところです。電源そのものがなかったり、Wi-Fiどころではない状況が続いていたようですが、今はようやく場所によっては解消されつつあるようです。特に外国人住民や子どもたちは、必要な情報を得られずに、孤立することもあります。注意しながら、要所要所でサポートができたらと考えているところです。

 

 

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