散歩するように生きる

リタイア後の日々の暮らしと趣味と日本語教育のこと

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母に手紙を書く

 あっという間に6月も終わりです。本当だったら今年も収穫できるはずだったジューンベリー。植木屋さんに変な時期に来てもらったら、全然実らず、残念です。写真は去年のジューンベリーです。ロゼの発泡酒に浮かべていただき、ジャムも作りました。

 

 

 さて、私の母は92歳でシニアマンションで一人暮らしをしています。もう確か15年以上前から携帯電話を持ち、メールのやり取りをしてきました。途中からはiPadiPhoneを使いこなし、メールを毎日送り合い、時々写真を共有してきました。

 印象的だったのは、2011年の忘れもしない震災の時、母はまだ揺れている中、庭の木につかまりながら、「(父母)2人とも無事」のメールをいち早く送ってきたことです。私は、遠く離れた地にある職場の7階でベトナム出張に行く準備をしていましたが、座っていられないほどの揺れに思わず廊下に出て、これは只事ではないと思いました。揺れが収まりネットを見ると宮城県で大地震とあり、青ざめました。そんな時に、すぐに母からのメールが届いて、安心したことを思い出します。

 その後も母とは、毎日メールを送り合い、母から1日メールがなければ、電話をかけるという約束になっていました。いわゆる安否確認です。長い間、必ず母からその日にしたことが書かれたメールが届いていました。父が闘病の末他界した時も、母からメールで連絡がきました。

 その母のメールが乱れ始めたのは、コロナ禍が始まったあたりです。驚くほど夜遅い時間にメールが届くようになりました。メール自体は、いつ来ても構いませんが、母の生活時間が乱れてきたことが感じられて、心配が募りました。

 そして最近ではだんだんメールが届かなくなり、電話をしてみると、メールそのものを見るのが面倒になったとか、見方がわからなくなったと訴えることが多くなってきました。歳をとっても、新しいことを進んでやってみる母でしたが、最近は簡単に相手を呼び出せる電話が楽みたいです。

 でも、メールが全然使えないとなると、結構、これまで楽にしていたことが全部できなくなることに気づき、愕然としています。いついつ、そちらに行きます、スケジュールは・・とか、果物送ってくれてありがとうとか、この間の写真送りますとか、簡単にできていたことが、手紙や電話では、時間もかかるし、労力もかかります。これを全部やめてしまうのは、いくら何でも残念なのではと思い、母に手紙を書き、改めてメールの見方のマニュアルを送ってみました。家族旅行の写真も共有アルバムで送り合えたし、きれいな写真がたくさんあるよと、諦めずに見てみましょうよと手紙で伝えてみました。手紙なら必ず見てくれるはずですが、また愛用のiPhoneを手に取ってくれるのか、この間会った時にローズピンクの新しいカバーを買ってあげたのに。。と、少し悲しい気持ちの今日この頃です。

 来年こそ、ジューンベリーの収穫を目指します!

 

 

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