散歩するように生きる

リタイア後の日々の暮らしと趣味と日本語教育のこと

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北陸地方での地震被害、心からの祈りを込めて

元旦に起こったこと

 このブログを見てくださる皆様にとって、今年がいい1年になりますように。

 私の住む北陸は冬は天候が悪く、元旦に晴天となることはあまりありませんが、今年は大雨の大晦日から明けて、青空が見える元旦となりました。午前中、おせちとお雑煮にお屠蘇を少し飲んで気分良く、年賀状の返事などを書いて、ポスト投函をして近くの神社にお参りもして、清々しい気持ちで家に戻ったのがちょうど4時ごろでした。

    

 最初に少し大きい揺れがあり、また珠洲(すず)の方で揺れたのかな、珠洲の人は新年から気の毒だねなどと話して、落ち着いた頃に2階の書斎に上がりました。すると、地震警報がけたたましくなり始め、経験したこともない揺れが始まりました。薄型テレビを倒れないように押さえますが、書斎なので書棚から次々と本が落ちます。1階ではガラスなどが落ちて割れる音も聞こえてきます。幸い比較的新しい家で、あまり物も多くなかったので、とりあえず家の中にこのままいようと思いながら揺れがおさまるのを待ちました。本当に長い揺れでした。気がついてみると、書斎は落ちた本で埋まっていました。

   

能登半島地震

 石川県の能登地域では、ここ3年ほど地震が続いていました。特に能登半島先端部分にあたる珠洲(すず)では、大きい地震に何度も見舞われ、家の全壊や神社の鳥居が倒れるなど、地域も疲弊していました。ようやく最近落ち着き、新たな年には希望も見えるかなという雰囲気だったのに、元旦からこんなことってあるのかと嘆くしかありません。

 1月1日の4時10分ごろに起こった大地震、長い揺れに動悸が収まりませんでした。下に降りて夫の無事を確認しました。床は棚から落ちた花瓶類が割れていて、歩くのにも注意が必要でした。夫はやはりテレビを押さえていました。少し正気に戻り、母と弟に「一応、無事」という短いメールを書きました。おそらく心配しているだろうし、時間が経つとメールが使えなくなるかもしれないと思ったからです。それが4時16分のことでした。

3.11東日本大震災を思い出す

 大地震というと思い出すのが、東日本大震災です。2011年3月11日午後2時46分のことでした。春休みに入りひとけのない大学の自分の研究室で、海外出張に出かける準備をしていました。7階にある私の研究室はかなりゆらゆらと揺れて、立っていられないほど、そして書棚の本が次々落ちてきました。研究室から廊下に出て、揺れがおさまるのを待ちました。これは只事ではないと思いました。研究室に戻りネットニュースをみると、仙台で大地震の文字が見えます。血の気が引きました。私の実家は仙台で、病気療養中の父と母が2人で住んでいます。しばらくすると、母から無事だというメールが届きました。庭の木につかまりながら、私が心配すると思い、送ってくれたそうです。

 その後、復旧にはかなり時間がかかり、水道も電気もガスも使えないまま、両親は家で過ごしました。私が物資を送ったり訪ねていったりできたのは、1ヶ月以上も後のことです。

輪島の街の姿に愕然とする

 今回の地震があったのが4時過ぎのことで、その後すぐに日が落ち暗くなり始めました。本当の被害状況がわかったのは今朝のことでした。テレビでは、輪島の賑やかだった朝市の通りが焼け落ちてしまった様子を映し出していました。輪島には何度も訪れ、古い木造の町屋の雰囲気が好きで、歩き回りました。その街の姿が変わり果ててしまいました。写真は輪島の古い町屋の雰囲気を残すバスターミナルと、ヨットバーバーです。今はどうなっているのか。。

庭周りの回復

 家の中もですが、外の庭周りも影響を受けました。花を植えていた鉢が倒れ、パンジーなどがすっかり逆さにひっくり返っていました。ちょっと倒れるという感じではなく、完全にひっくり返るとは、どれだけ揺れが激しかったのだろうと思います。

 それでもライフラインに影響がなく、屋根の瓦が落ちたりなどもなかったのは、不幸中の幸いでした。地域によっては、水道や電気が使えないところもあるようです。そして、まだ余震がずっと続いているため、いつも体が揺れているような感覚になってしまっています。何とか、倒れた鉢を植え直しました。

地震と報道

 私の専門は日本語教育ですが、日本語でどうわかりやすく物事を伝えるかを考えるのも仕事なので、緊急速報やニュースでの伝え方には関心があります。今回の地震でも、膝がガクガクするような状況でしたが、ニュースを注視していました。女性アナウンサーの「逃げること、戻らないこと」と叫ぶような働きかけは、異常事態であることを伝えようとしていると感じました。阪神淡路大震災東日本大震災と、何度かの震災を経て、報道は工夫を重ねてきていると感じます。

地震と地域

 私は少し落ち着いた頃、近所の一人暮らしのお年寄りの家を何軒か訪ねてみました。民生委員の方もすぐに動かれたようですし、他の近所の方も気にしている様子でした。年末年始の帰省で留守のお宅の石灯籠が道路に落ちそうで落ちない、という危ない状況になっていましたが、それも近所の人で話し合い町会長さんにも見てもらって、連絡し合ったりしました。私の住む地域は、町内会はありますが、それほど濃いお付き合いもなくあっさりした感じです。しかし、何かあれば、助け合おうとしていることがわかりました。

 まだ被害の全容は分かりません。輪島や珠洲は、町は壊滅状態という報道もありました。倒れた家屋の下敷きになっている方もまだまだ多いのではと、本当に心配です。1人でも多くの方が無事で救出されますように、心から祈るばかりです。

 

 

 

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